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広島地方裁判所 昭和44年(ワ)1214号 判決 1973年10月04日

原告 甲野花子

右訴訟代理人弁護士 岡田俊男

右訴訟復代理人弁護士 関元隆

被告 浅海昭男

右訴訟代理人弁護士 三浦強一

同 秋山光明

主文

一、被告は原告に対して金一五〇万円およびこれに対する昭和四四年一二月七日より右支払ずみに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

二、原告のその余の請求を棄却する。

三、訴訟費用はこれを三分し、その一を被告の、その余を原告の負担とする。

事実

第一、当事者の求めた裁判

(原告)

被告は原告に対し、金五〇〇万円およびこれに対する昭和四四年一二月七日より右支払ずみに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

訴訟費用は被告の負担とする。

仮執行の宣言

(被告)

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

第二、当事者の主張

(請求の原因)

一、事件の経過

1、原告は、昭和四四年四月二六日、妊娠の自覚症状があったので被告の経営する三篠病院に赴き診断を受けた。被告は原告に異常妊娠のおそれがあると診断し、中絶手術を施行したが、さらに、子宮外妊娠二ヶ月と判断し即時開腹手術を行った。ところが、手術後一〇日にして原告は患部に激痛を覚え、また、脱水症状をも呈するに至った。

2 そこで、原告は、同年五月一一日広島市民病院に転院した。原告は同病院で両側卵管膿瘍、骨盤腹膜炎との診断で開腹手術を受けたところ、子宮およびその生殖附属器、虫垂が手拳大の一塊の膿瘍を形成し、保存に耐え難いと判断された為右器管をすべて剔出された。このため、原告は当時三六才の女性であるのに、その全生涯にわたって女性としての全機能を喪失し、現在もなお後頭部に激痛を伴い不快な日々を送っている。

二、被告の責任

かかる事態に至ったのは被告の前記診断および手術に以下の如き過誤があったからにほかならない。よって被告はこれによって原告が蒙った後記損害を賠償する責任がある。

(一) (不法行為責任)

被告の前記診断および手術には以下に述べるように医師としての重大な過失があった。

1、手術前の診断が不充分であった。すなわち、被告は妊娠を確める諸検査もせず、かつ、優生保護法一四条により人工妊娠中絶を行うに必要とされる配偶者の同意を得ることもなく即時に本件手術を敢行した。

2、被告の手術は事実の誤認にもとづくものであった。すなわち、原告は前記のように子宮外妊娠二ヶ月ということで手術を受けたのであるが、前記広島市民病院における開腹時の所見では、原告には、子宮外妊娠の通常の術式であるところの患部の着床部分、卵管、卵巣その他の剔出の痕跡が見当らないということであった。被告は原告を子宮外妊娠と誤診して、必要のない手術を行ったものである。

3、手術および手術後の措置に過誤があった。すなわち、本件の如き手術を行う場合には、細菌感染のないよう抗生物質を充分投与するなどの措置をとるべきであったのに被告はこれを怠った。また、原告は手術後の五月五日頃より症状が悪化し、下腹部に激痛を覚え意識も混濁するほどであったのに被告はこれに対して何ら適切な措置を講じなかった。

被告の右過失が原告の前記膿瘍の因をなしたことは明らかであるから、被告は原告に対し不法行為にもとづく損害賠償責任を負う。

(二) (債務不履行責任)

被告が原告を子宮外妊娠と診断した時点において、原被告間には右治療を内容とする準委任契約が成立した。よって、被告は医師として万全の注意を払って右治療を実施すべきであったところ、その施行の手術により原告に前記の如き障害をもたらした。すなわち、被告は右契約上の債務の本旨に従った履行をなさなかった。

三、損害

原告は本件手術当時三六才の健康な女子で、子供好きの夫との間で幸せな家庭生活を送っていたのに現在は日々頭部激痛等の不快感があって一家の団らんも望めず、それに、今後ホルモン投与等の経済的負担を強いられることになった。この不幸な境遇は、おそらく原告の生涯を通じて継続するものといわなければならず、原告の精神的苦痛は筆舌に尽くし難い。これを慰謝するには金五〇〇万円をもってするのが相当である。

よって被告に対し、右五〇〇万円およびこれに対し、その履行期後の本件訴状が被告に送達された日の翌日である昭和四四年一二月七日から右支払ずみまで民事法定利率の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

(請求の原因に対する答弁および主張)

一、請求の原因一につき

1のうち、原告が脱水症状を呈したことは否認し、その余は認める。

2の事実は不知。

二、請求の原因二につき

被告の診断および手術に過誤があったとの主張、ならびに被告が原告に対し損害賠償責任を負うとの主張は争う。

(一)の1の事実は否認する。被告は妊娠を確かめる検査は行った、また、本件の場合は不全流産で、中絶手術を必要と判断した結果同手術を行ったもので、この場合には配偶者の同意は必要とされていない(もっとも被告は原告の夫の承諾を得ていた。)。

同2のうち、市民病院の所見は不知。その余の事実は否認する。原告が子宮外妊娠であったことは事実である。本件子宮外妊娠は卵管采に鳶卵大の血腫があり、被告はこれを除去したものである。

同3の被告の本件手術および手術後の措置に過誤があったとの主張は争う。

「手術中の過誤」については、被告は、消毒その他細菌感染防止のために万全の処理をした。それにもかかわらず、原告が腹腔内の細菌感染を起こしたのは、手術という機械的刺激により、原告に慢性的に存在したラッパ管の炎症が急性症状を起こしたと考えるのが最も合理的である。つまり、もともと原告の体内にあった細菌が、手術により抵抗力が弱った機会に血液を媒介にして細菌感染を起こしたのである。この場合は不可抗力であって被告に過失はない。

「術後の過誤」については、被告は、原告の発熱後は充分な抗生物質を与えており、術後の治療法に誤りはなかった。

(二)の被告に債務不履行責任があるとの主張は争う。右に述べたように被告は診断および手術に万全を期したものである。

三、原告主張の損害額は争う。

第三、証拠関係≪省略≫

理由

一、昭和四六年四月二六日、妊娠の自覚症状を覚えた原告が、被告の経営する三篠病院で被告の診察を受けたこと、被告が原告を子宮外妊娠二ヶ月と診断して同日開腹手術(以下本件手術という。)を施行したこと、手術後一〇日にして、原告が患部に激痛を覚えるに至ったことは、いずれも当事者間に争いがない。

二、≪証拠省略≫によると、原告は、同年五月一一日、広島市民病院に転院し、同月二五日に開腹手術を受けたところ、両側卵管は膿瘍を形成し、子宮、回、盲腸と強度に癒着しており、両側卵管、卵巣および子宮は保存に耐えうる状態でなかったため、単純子宮全剔および両側附属器剔出術(以下第二手術という。)を施行されたことが認められる。

三、原告は、右膿瘍等が被告の診断、手術およびその後の措置に過誤があったため生じたと主張するので以下判断する。

(一)  右膿瘍等の生じた原因について

≪証拠省略≫によると、前記のごとき経過で右のような症状を呈する場合の原因としては、つぎの可能性が指摘される。

しかしながら、右②については、これをうかがわせるに足る証拠がなく、原告の前記経過、症状からすれば、これを右原因から除外して考えるのが相当である。つぎに、右についてであるが、≪証拠省略≫によると外部から細菌が入った直接感染の場合には症状が早期に顕われ、且つ激烈であることが認められる。

原告の症状は前記のように本件手術より一〇日程を経て発現していることからすると、右も本件の原因から除外して考えるのが相当である。しかして、前記争いのない事実、≪証拠省略≫によると以下の事実が認められる。

1、子宮外妊娠の原因として一番多いのは卵管の炎症であること。

2、子宮外妊娠が進行すると卵管の破裂もしくは腹腔内への流産という結果をきたし、その部分に炎症が起こりうること。

3、第二手術時における診断では、原告は附属器の炎症が悪化して膿瘍が周辺に及んだものであると認められたこと。

4、原告は、本件手術時、子宮外妊娠(卵管膨大部妊娠)二ヶ月であり、被告が開腹したところ、卵管采(卵管の腹腔端)に流産した痕跡が鳶卵大の血腫を作っていたこと。

右のとおり認められ、これに反する証拠はない。

右の事実からすれば、右が最も本件の原因をなした可能性が高い。すなわち、従前より原告に存した卵管の炎症が本件手術による機械的刺激および原告の体力の低下を契機として増悪し本件発症を見たと推認できるのである。≪証拠省略≫によれば、についても本件の原因となる可能性を否定できないと認められるが、右認定事実からすれば、これは従的なものにとどまると考えるのが相当である。

右認定をくつがえすに足る証拠はない。

(二)  被告に過誤が存したか否かについて

1、被告の診断

原告は、被告の本件手術前の診断が不充分であり、本件手術は、原告が子宮外妊娠をしたものと誤診してなされたと主張する。

≪証拠省略≫によれば、被告は、原告の月経が停止していること、妊娠反応が陽性であること、子宮膣部に妊娠の徴候があることから原告が妊娠しているものと判断し、さらに、子宮内容物が皆無であったところから、これを子宮外妊娠と診断したことが認められる。≪証拠判断省略≫右事実からすれば被告がした子宮外妊娠の診断は正当なものであったということができる。しかして、子宮外妊娠はこれを放置すると卵管の破裂などを引き起こすおそれがあり、一刻も早い手術を要することが認められるから、被告が即日本件手術に踏みきったことは相当な措置であったと認められる。

2  本件手術

前記当事者間に争いない事実並びに右認定の事実に徴すると被告が、原告を子宮外妊娠と診断した時点において原被告間には右治療を内容とする準委任契約が締結されたものと認めることができる。被告は医師として右契約上の債務を誠実に履行すべき立場に在ると解せられるところ右債務の内容について検討を加える。≪証拠省略≫によれば、子宮外妊娠の手術においては卵管を切除するのが通例であって、これをしないのは、卵管の先端にだけ妊卵があるという限られた場合であることが認められ、これをくつがえすに足る証拠はない。前記の如く、子宮外妊娠(およびその流産)には卵管の炎症を伴うことが多いところからすると、右手術上の通例は卵管の炎症の防止のため必要とせられることが認められる。原告が卵管膨大部に妊娠し、腹腔内に流産したことは前認定のとおりであるから被告としては、原告の卵管采流産部分の除去をなすことのほか、さらに卵管炎症の有無を適確に確認し、もし、炎症が存するときには炎症部分の切除もしくはこれに代る適宜な措置をとるべき治療契約上の債務を負担するものというべきである。

そこで、本件手術内容についてみるに、前認定の事実に≪証拠省略≫を総合すると、被告は、原告の卵管部位を開腹したところ、左卵管采にぶらさがるように卵管流産の痕跡が鳶卵大の血腫を作っていたため、これを手でガーゼを以って取除いたが、卵管自体には何らの措置を施さなかったことが認められ、これに反する証拠はない。

右の場合における医師として被告のした措置が正当であったか否かについて検討する。

被告は、本件手術時原告の卵管に異常は認められなかったと供述する。しかしながら、前認定のごとく原告の卵管に膿瘍等が生じた原因として本件手術時にはすでに卵管部位に炎症が生じていたと認めるのが相当であるがその炎症の程度については後記のような抗生物質の投与にもかかわらず、一ヶ月後の第二手術時においては広範囲にわたる強度の癒着、膿瘍に悪化していることを考慮すると、≪証拠省略≫に指摘されるごとく本件手術時に被告が充分な注意を払えば卵管の炎症を発見しうる程度のものであったと認めるのが相当である。

右のように被告は本件手術時において原告の卵管炎症の確認が充分でなく炎症部位の確認、発見切除をなさなかったものであるから原告との間に締結された治療契約上の債務を完全に履行したものとは認め難く被告が本件手術時になし又なさなかった措置が正当であって過失がなかったとの点については被告の立証を以ってしては未だ充分でなく結局被告は右治療契約上の債務不履行によって原告が蒙った損害を賠償する責任がある。

(三)  原告の卵管膿瘍等による第二手術が被告の過誤に帰因するか否かについて、

≪証拠省略≫によれば、本件手術後の原告の症状はときどき微熱があったものの比較的順調であったが、一週間位して発熱したので、被告は腹腔内の化膿を疑い抗生物質を投与したこと、その頃診察を依頼した他の医師も抗生物質を更に多く投与するようすすめたことが認められ、≪証拠省略≫によれば、右抗生物質の投与によっても原告の症状が好転しなかったため、原告は自らの希望で前記の認定のように広島市民病院に転院したこと、同病院では、原告の症状を考慮し直ちに手術にふみきることをせず、抗生物質を投与して腹腔内の化膿を保存的に治療する措置をとったのち、第二手術をしたところ、前認定のような状態であって術前の抗生物質投与の効果があらわれていなかったことが認められる。これら認定をくつがえすに足る証拠はない。

右の経過およびこれまで認定した事実に徴すると原告の卵管に膿瘍を生じ子宮、回、盲腸と強度に癒着し第二手術のやむなきに至ったのは、被告が本件手術に際し、自己の責に帰すべき事由により、治療契約上の債務を完全に履行しなかったことに帰因するものと認めることができる。

四、原告の蒙った損害について

≪証拠省略≫によれば、原告は本件手術当時三四才の女性で夫と三人の子供を有していたところ、被告の本件手術上の過誤により第二手術による女性内生殖器のすべての剔出を余儀なくされ、今後妊娠の可能性は全くなくなり、さらに、卵巣欠落症状が現われ、現在、精神安定剤を常用し、ホルモン注射のため通院していることが認められる。これらの事実並びに本件手術の過誤の態様等諸般の事情を勘案すれば、原告の肉体的精神的苦痛を慰謝する為には被告をして原告に対し金一五〇万円の支払をなさしめるのが相当である。

五、よって本訴請求のうち、金一五〇万円およびこれが履行期後である本訴状送達の日の翌日(昭和四四年一二月六日)より支払ずみに至るまで年五分の割合による金員の支払いを求める部分を理由あるものとして認容し、その余を棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条を適用し仮執行の宣言については適当でないからこれを付さないこととし主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 田辺博介 裁判官 海老澤美廣 広田聡)

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